臨床講義 編
お久しぶりです。前回の記事から半年以上空いてしまいました。もうほとんどアクセスも無いだろうと思っていたのですが、ぼちぼち見ていただいているようで嬉しいです。Twitterでは編入合格のツイートが多数回ってきており、Twitterを始めたころから知っている方が合格したことに思わず感動したりと、時の流れを感じています。1年で合格できなかった場合、自分は勉強を継続できていたのだろうかと思うとゾッとしますが、考えても仕方ないのでここに書いて忘れることにします。
僕自身、編入したことがこないだのことのようですが、気づけば基礎医学の講義はほとんど終わって後期からは臨床の講義に突入している次第です。ブログをサボっていた間、記事になるような面白い経験ができたわけではなく、むしろ現実を知って良い意味?で消極的になってしまいました。今回はその懺悔を綴るつもりでいます。最近、質問箱で意識の低い回答をしたところお叱りを受けてしまったりと、どうやら僕には大学や受験界隈が考えるような編入生の資格はなかったようです。笑 ですが入学してしまった以上、人並みには奉公しなければなりませんので、淡々と勉強を続けるというスタンスで勉強を続けています。ハードルは低めでお願いしますね...教育して叱ってほしいです...
・英語学習について
前回の記事を見返していたら、TOEICの点数が意外に伸びたことに感動してイキり散らした文章を投稿していたようです。春頃はたまたま会った友達にUSMLE興味あるんだーと漏らしてしまったりと、かなりのぼせ上がっていたように思います。で、現状全く触れておりません。笑 笑えない... いざ取り掛かろうと情報収集をしたところ、いろいろと厳しい現実を知ってしまったという結末です。具体的には、
1. やるからには本気でやらなければあまりメリットがない
USMLEは1度試験を受けたら終わりという試験ではなく、筆記試験のstep 1、そしてOSCEのような面接などを受けなければならないstep 2 の2段階構成になっています。もちろん最初はstep1から受験するのですが、アメリカに行って希望の科で臨床したいと思うなら、step1では高得点を取らなければならないようです。点数が低くても医局の教授のつてで良い病院のレジデントになれたという記事も見ましたが、運要素を排除したくば良い得点を取らなければならないようです。合格もやっとだというのに... 肝心の内容はというと、基礎医学をガッツリやらなければならないようで、根気強く勉強していく必要があるようです。以上の情報を集めた結果、今の生活を捨ててまで勉強を開始する気になれませんでした。
2.お金
下心全開で申し訳ないのですが、コメディカルである僕が編入を志した理由の一つに、医学を深く勉強しつつその対価も貰いたい、という動機があります。アメリカに渡ったとしてもレジデント、つまり初期研修のような立場からスタートし、日本の医師の平均的な収入に到達するまでは5年以上要するようです。よほどアメリカでしかできないことが決まっている、また自分の腕を試してみたいという意思が無い限り、突っ込めるようなヤマではなかったということです。
3.そもそも難しい試験である
冷静に考えると、現役や1浪で前期試験を突破するような頭をもった医学生たちがUSMLEは難関試験だと捉えており、ヘロヘロになりながら編入に合格したような人間が医学の勉強と並行してそのような試験に合格できるのか、という疑問が振り切れませんでした。主観的にも、客観的にも、僕は医学部の座学を普通に勉強できれば満足だと判断しました。
これらの理由を無視できるような情熱が僕にはありませんでした。もっと突っ込むと、手段が目的化していたように思います。医学英語、カッコよくね?海外にも行けるし?という安直な発想だったのでしょう。悲しいですが、やはり僕の目標は日本で普通に臨床医になることでした。
・学生生活について
2年前期はとにかく留年が怖くて勉強をしまくり、いくつかの講義で秀(90点以上)を取ることができました。後から知りましたが、解剖実習で張り切っていたら「歩くプロメテウス」といじられていたようです、医学部は愛に溢れていますね。編入生として文句ないだろうと、このまま突っ走っていくつもりでいたのですが、後期からアルバイトを始めたこともあってうまく勉強の手を抜くことを覚えてしまいました。抜くとはいっても、今のところ再試に1度もかかっていませんし、うまくこなせるようになったといえば良く聞こえるでしょうか。つまるところ、医学生は講義を落とさず、CBTや国試に合格しさえすれば医師免許を獲得することができ、臨床医になれるのです。むしろ、日本では臨床に出てからが勝負という雰囲気さえあるように思います。こうしたことを総括し、自分の目標である臨床医になることだけを考えると、現状で切羽詰まってやらなければならないことが消えてしまったのです。臨床推論のワークショップなども開かれていますが、CBTに向けて基礎を固めることが大事かなと思い込んでいるところもあって参加は考えていません。入学前の自分が何も知らなかっただけなのですが、勉強すればするほど高みにいけるということではなく、所属した医局や後期研修先でおおよその医師としてのキャリアが決まってしまう現実があり、学生として活発にイベントに関わろうとは思わなくなりました。
暗い内容になってしまったのですが、相変わらず基礎医学や臨床医学の内容自体は非常に面白くて、編入して本当に良かったと感じています。技師として過ごしていても独学次第で医学には詳しくなれると思いますが、やはり医学は医学科のほうが効率よく学べるなという印象です。ただ、研究に興味があるわけではなく、臨床医志望で編入試験を合格した僕にとって、2回目の学生である時間を持て余してしまっているのが現状です。持て余した結果、この冬は電子ピアノを買ってコードぐらい弾けるようになろうとしています。正直最高です。ラジエーションハウスの次はベイビーを狙います。
・今後について
臨床医として働くならば、専門医を取ってある程度経験を積むまでは本業に集中する必要がありそうです。そう考えると、細く長く医師として医療に貢献していけるように、学生の期間はある程度勉強を継続しつつ人生の満足度を上げていこうと決めました。なにか人と違った、編入生らしいことができるといいなと妄想していた2年間でしたが、回り回ってようやく現実的な目標が見えてきたように思います。編入生として何かできないか、という思い込みで悩む時間もありましたが、人にはそれぞれ適正があり、僕は粛々と勉強して労働するほうが向いているということに気づきました。無理をすればもともと得れたものさえも失ってしまうリスクがあります。自分に限っての話ですが、編入試験は優秀な人が少し勉強してサラッと入学するのが理想なのかなと感じています。時間をかけて筆記試験の内容を暗記して入ったところで、それはただ筆記試験ができる学士なのであって、一般生と同じになってしまいます。優秀な人、編入試験はあなたを待ってます。今となっては意味のない話ですが、こうなるのなら一般受験で入学しても良かったのかなと思います。まあ編入によって1年短縮されるメリットを享受しておいて、編入試験とはまた違った熾烈な競争がある一般受験だなんて、そんな悠長なことは言えませんが。
・編入試験の存亡について ※完全に偏見です。長いです。ご容赦ください。
これについてはツイッタランドでも度々話題になりますが、僕なりに編入試験の大まかな歴史を振り返ったところ、編入試験自体はアメリカのメディカルスクールをモデルに始まったと知りました。モデルにすること自体はいいと思うのですが、向こうは殆どが学士出身であるのでその制度自体の評価もできる反面、日本では多いところで10人、大体が5人と枠が少ないのが現状です。選抜された5人ということなのでしょうが、あまりにも選抜されすぎていて編入試験制度自体の評価のしようがないように思います。逆に少ない編入生が留年や国試浪人をしてしまったらあまりにも目立ってしまいます。また編入を始めたからどうなった、やめたらどうなった、という話が公に出てこないし、ならば機会を設けて会議を開催するかというとそれほど大きな問題にもなっておらず、ズルズルと続いているのが現状ではないでしょうか。僕自身、編入に合格して美味しい思いをさせてもらっているので一概にこの制度を批判できる立場には無いですが、やるならやるで入学者の1/3くらいを編入生にして評価をしてみてほしいです。どうしても必要な制度であればこれくらい本腰を入れて編入試験を実施するでしょうし、実施されないということはまあそういうことです。
そもそも日本で大学教育が始まったのが明治の始めであり、一般に大学が開かれるようになったのは戦後からのようです。日本における大学教育自体がまだ日が浅いにもかかわらず、始まったばかりの編入試験で正確な評価は難しいように思います。時間がない受験生がこれを見てくださっているのなら、個人のレベルでは入学しやすそうであればこの制度を生かさない手はないように思います。こんなことを言うと怒られそうですが、日本の官僚養成機関と名高い東大を見てください。外資だらけです。結局そこに属している学生は合理的に動くので、やはり制度や待遇自体が重要である気がします。
最近考えていたことを適当に書きました。編入の存亡については、半分編入していろいろと活躍している人への嫉妬で書いた文章なので、気分が悪くなった方は暖かくして早く寝てください。医師への道はまだまだ長いようです。